kazutaka_ueyama’s blog

日記かな?

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 自分としては社会隅々まで公共や民間問わず、何らかの役務提供を受ける上で不便を被ったとしてそれに対して何か物申したりする自体は取り立てて異常だとは思わない。それからそういった物言いを付ける上で果たして先方の「事情」なるものへの「理解」と言うのは果たしてどこまで求められるものなのか。サービサー側に対応の変化を期待し難い何かの事情を抱えているのは百も承知で、それでも尚一言何も言わずと言う訳には往かない。と言う案件だって少なくは無いんじゃないですか。

 特にこの種のサービス業に対して対応の拡張を要求する中には、それを出し続けて置かないと日常の生活で他人と比した時により不利益を被る可能性が大きいという人達も居るのではと考えを及ぼしておいた方が善いのではとも思いますね。

 例えばを具体的に出すならバリアフリー対応なんかが典型。この方面での対応は100パーセント的に施されていると言い難い現状ですし、サービスを受けたいとする当事者やそれの近くにいる立場としてはサービサー側に対応の範囲を広げるよう要求するのは充分に有り得る事です。

 

 サービサー側の立場としては具体的にそういった要求を受けた際に、では明日からでも、と言っていきなり対応を拡張させられるかと言うと、まあそれを出来るのは多いとは言えませんしそれは止むを得ないとも思います。(車椅子利用者の入店拒否なんかも過去幾とどなくそういう事例が起きるたびに論争が紛糾してますよね。)かと言って他人が受けられる筈の利便を受けられない事で円滑な社会生活営む上で決して小さくない不利益を被るかも知れない、となった場合に先方の「事情」に阿って己共の主張や要求を簡単に撤回するのが増えてそのままで善いかってなったら、そこはそれで少しは悩み処としなければならなくは無いですか。私はそう思うのですが

 上記の様な増田は自分達への批判を押し返す根拠として自分達の経営や組織運営上の都合を持ち出しているようですが、バリアフリー対応への要求なんかも同様こういう風にやられちゃう場合が多いのですよね。ハッキリ言って経営合理性と言う観点で一面的に見るなら(おそらく表だっては言いにくいだろうけど)そういう施策への投資を見送ってしまって構わないと思えてしまうのも、現状としては否定しずらいかも知れないのでしょうね。

 自分としてはそういう考えを直ぐに邪心の表れとまで言わずに済む様な穏やかな状況を望みますけど、そういう流れに持って行ける為にはにはどうすれば良いかってところが問題になるのでしょう。要求される様なサービスの多様性の確保で有るとか各種の改善が現実的に難しいにしても、案件次第では自分達だけの事情を開陳したところでそれは直ぐに受け入れられない相手もいる、そしてその様な案件で相手を受けなければならぬとなった時に、どの様な切り抜け方が正しいのかもう少し思慮が必要では無いかと思うのですが。

 本件の様な論争に関して言えば、おそらくこういうのは今日の日本の社会風土では不便を被る利用者側への同情が行き難い様な毛色のテーマと言う事で上記の様なサービサー側の主張が大勢で有利を得やすいんでしょうが、テーマが少し変わると賛否の比率が変わるんじゃないですか。

 

 

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ついでにもう一つ例を上げるならば携帯電話販売なんかでの不明朗なオプション強制なんかへの批判とかそれに対する応答もそう。これも自分達を取り巻く事情(やむを得ないとしても)を明らかにしたところでそれだけで問題解決に至るとは程遠い事例ですね。こういう場合なんかもどうすれば前向きに問題解決へ近づけるかと言う視点が足らなかった。

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